2021年度(2020年度開催延期)

テ ― マ 生活を綴る―戦後民衆の主体形成―

趣  旨
 現在、感染症の世界的流行によって、人びとの暮らしは一変し、社会的分断が加速しています。流行以前よりすでに、日本社会では、経済格差やジェンダー格差、世代間格差が顕著でした。一方で格差に伴う負荷と苦痛は、新自由主義の台頭による個人化と自己責任論に覆い隠され、社会的弱者を攻撃する風潮さえ強まっています。感染症の世界的流行は、こうした社会における格差と不平等をより一層深刻なものにしています。さらに、感染症による危機のしわ寄せは社会的弱者へ向かい、とりわけ女性や子どもへの影響は深刻さを増しています。コロナ禍における格差と貧困、対立と分断の深まりのなかで、社会的連帯をどのように再構築していくのかが鋭く問われているのではないでしょうか。
 近年、「#Me too運動」に代表されるように、「わたし」の経験が表現され、社会的に共有されることによって、新しい連帯の動きが広がっています。「わたし」の経験は、個人的なものですが、それが語られ、表現され、対象化され、共有されることによって、「わたし」の経験は、社会性を帯びるようになります。「わたし」の経験を表現することは必ずしも容易なことではありません。しかし、語られた個別の経験は、ときに普遍的な力を生み出す契機となるように思われます。
 戦後日本では、学校教育はじめ社会教育においても生活を綴る実践が広く行なわれました。生活を綴ることは、労働者または生活者をして実践の主体たらしめ、社会変革を展望せしめるものでした。学校や労働の場で取り組まれた生活綴方または生活記録運動といった文化運動の担い手は、労働運動や社会運動の担い手でもありました。彼・彼女らは、自らの生活を綴ることで、どのように自己を変革していったのでしょうか。また、学校の教師は、子どもたちに生活を綴らせることで、どのような力を育成しようとしたのでしょうか。また、「書く―書かせる」という教育的営為は「書く主体」にいかなる葛藤を呼び起こしたのでしょうか。
 今回のサマーセミナーでは、生活を綴るという集団的営為がもつ教育的意義を主体形成との関係において改めて検討してみたいと考えています。また、それと同時に、〈書かれたもの〉と〈書くこと〉との間に生じる緊張関係や、〈書かれていること〉と〈書かれていないこと〉の間に存在する事実と「書く主体」の認識をどのように措定するかという問題、生活綴方または生活記録を歴史史料として扱う際の方法論的吟味についても深めていきたいと考えています。

開催日時
2021年8月29日(日)午後1時~3時30分

開催方法
オンライン開催 (以下の「第39回サマーセミナー特設ウェブサイト」からご参加ください)→終了いたしました。

報告者
辻 智子(北海道大学)
小林 千枝子(作新学院大学非常勤講師)
山口 刀也(大東文化・東海大学非常勤講師)

コメンテータ
加藤千香子(横浜国立大学)  

司会
杉浦由香里(滋賀県立大学)  

参加費
無料