過去の世話人交代のご挨拶

<世話人体制の変更について>

本年4月をもって、世話人の大部分が退き、新しい世話人体制に移行することになりました。このたび世話人を退くのは、大橋基博、木村政伸、清水康幸、前田一男、森透、山谷幸司、米田俊彦の7名です。新しい世話人は、井上惠美子、大矢一人、川村肇、駒込武、山口和宏、吉川卓治の6名に、旧世話人から船寄俊雄、八鍬友広、湯川嘉津美の3名が残留し、計9名で担うことになりました。

<世話人を交代するにあたって(清水康幸・前田一男)>

現世話人体制が発足したのは1991年10月のことであった。10年間続いた第一期世話人体制を引き継ぎ、私どもの第二期も10年間の節目を迎えた。 2、3年前より移行の準備を始めていたが、幸いにして後を継いで下さる篤志者を得ることができ、このたび大部分の世話人が交代することとなった。第二期世話人も、第一期と同様、10年間がんばることを当初の目的としていたが、その限りで任務を果たしたことになると思う。30代から40代前半の若手研究者が 会の実務を担うということは会の活性化のために重要な慣行と思われるので、これを機にもう少し若い世代にバトンタッチすることにしたい。
日本教育史研究会は、「学会」ではない。あくまで「自由かつ旺盛な研究交流を軸に、相互批判や論争を大胆に進め、科学的な教育史学を展望する有志組 織」(「新しい出発に当たって」『日本教育史往来』第74号、91年10月)である。有志組織であるがゆえに、その組織は選挙等による役員体制をとらず、 世話人というボランティアにより運営される。対外的な便宜から代表なるものも存在するが、世話人は基本的に対等平等の関係であり、運営上の事柄はすべて合 議により決定されている。世話人というシステムは、会員による信頼と信託なしには一歩も動かないものだ。
このような組織原則を維持するには、実際のところ、矛盾や困難がないわけではない。世話人の中でも、この組織を維持できるかどうか、何度か議論になった。しかし、既存組織にありがちな権威主義や官僚主義を脱することに本会発足の重要な意義があったことにかんがみて、私どもは、この組織原理を放棄するこ とは本会の解散を意味するであろうと考えてきた。幸いにして、三百数十名の個人会員を擁するに至った現在もなお、この組織原理は会員のご理解とご協力により維持し続けられている。願わくば、本会の目的と組織原理との密接な関係に改めて思いを致し、その良き面を継承していただければと思う。本会の活動の成果や意義については、一定の自負しうるものがあるとはいえ、さらになすべきであったと省みる点もある。本会は特定の史観や方法論を前提と する研究会ではない。また、学閥や諸派閥の利害から無縁でありたいと志してきた。その自由さと幅広さがもたらすプラス面と他面での物足りなさについては、 評価が分かれるところかも知れない。今後の研究会の行方は、新しい世話人のもと会員相互の意見交換により決められていくであろう。またこうした活動の前提 には、会費や名簿の管理、発送や販売等の地道で根気の要る実務が存在する。これらも、会員のご協力により支えられてきた。梓出版はじめ共進印刷などのご尽 力も大きな支えであった。これら全ての皆さんにあらためて感謝申し上げたい。
私どももそうであったように、新しい世話人たちもほとんどが30代である。日本教育史研究会の最大の武器は若さであり、自由かつ旺盛な研究心と研究交流 への意欲である。発足後20年を経て新しい世紀を迎えた今、日本教育史研究の現代的課題と研究会の新たな使命達成に向けて、皆さんの旧倍のご支援をお願いするものである。

2001年3月31日
旧世話人を代表して 清水 康幸  前田 一男


<新しい出発にあたって(船寄俊雄)>

紆余曲折はあったが、ようやく新世話人の顔触れが確定し、第三期のスタートが切れることになった。ただし、この顔触れは固定的ではない。近い将来においてその補充や交代があるだろう。
本会を取り巻く諸状況はこの20年間に大きく変わった。大学に「日本教育史」の講座があるからとか、「日本教育史」が教職科目として必須だからといった 制度に守られた状況はなくなった。他方で、「日本教育史」が教育実践や現実の教育に役立たないという「評価」は依然として根強い。日本教育史研究の意味が 自明のものでなくなった現在、私たちは自らの存在意義をどのように考えれぱよいのか。さらに、ここ10年の大学院の急速な拡充のもとで大学院生は急増した が、彼らが学ぶ学問領域として日本教育史研究は魅力あるものになっているのか。本会の会員は拡大しているから、何も問題はないと考えてよいか。
こんなこともこれからは考えていかなければならないだろう。しかし、研究の意義や社会的な存在価値を考えなければならないとする問題意識は、本会の初志 でもある。そのことを強調する点が既存の学会組織と多少異なるところだろう。そのことにこれまで以上に自覚的でありたいと思う。
世話人の役割は、あくまで会のお世話である。会員からみて、そのお世話が不十分であったり、逆に世話の焼き過ぎであれば、どしどし意見をして欲しい。旧 世話人が述べる「世話人というシステムは、会員による信頼と信託なしには一歩も動かない」というくだりを、私たちはそう理解している。

2001年3月31日
新世話人を代表して 船寄 俊雄


<世話人代表を退くにあたって(船寄俊雄)>

ようやく世話人およびその代表の役を終えることができました。前世話人代表の清水康幸さんから、「代表はサマーセミナーの時の挨拶以外に大した仕事はない」と口説かれた時、「サマーセミナーにわざわざ出席して、しかも挨拶までするというのは私にとって大した仕事だ」と思いましたが、お引き受けさせていた だきました。結果はその挨拶の役さえまともに果たせなかったのですが、「やめろ」の声もなく大過なく過ごさせていただいたのは、ひとえに会員の皆様のご協 力の賜物であったと感謝いたしております。
正直言って、世話人さらには世話人代表の席に座っているのは結構苦痛でした。とくにこの近年。最近、学会の理事や機関誌の編集委員やらを仰せつかること が多く、光栄なことだし会員の責務とも考えて務めさせていただいていますが、これまた座りごこちの悪さを感じることがあります。
なぜか。自分の研究ができていないからです。自分ではまだ中堅(若手というとさすがにシャレにならなくなりましたが)だと思っていますし、「単著こそ仕事」という指導教官の教えに照らしてもまだまだ未熟者です。他人のお世話をしている場合ではなく、もっと自分を鍛えなくてはいけないという危機感のような 気持ちが常にあります。
もちろん勤務先での公務(教育と校務)が大事でありそれを毎日こなしていますが、年々その比重が大きくなり、いつの間にか研究時間を確保するのに苦労す るという状況に陥ってしまいました。院生の頃のように(と言うと院生の方々から怒られそうですが)、研究だけ考えていればよいという環境は戻らないことは 了解しています。しかし意識して生活することにより、なるべく多くの研究時間を確保したいと切に思います。
何やら愚痴っぽい話になってきて、標題にふさわしい内容になりそうにないのでもうやめます。今回、一会員に戻ってもう一度いちから出直します。


<代表就任の弁(山口和宏)>

日本教育史研究会の代表は損な役目だ。代表といっても特別な権限は何もない。主な仕事は、サマーセミナーの時に挨拶をすること。トラブルがあった時に謝 りに行く・抗議するなど、問題の矢面に立つこと。要するに「権限はないのに責任だけはある」(船寄さん、本当にご苦労さまでした)。だから、新しい代表を 決める時、手を挙げる世話人は誰もいなかった。しかたなく私が代表となった。
日本教育史研究会は、二三年の歴史と四百人弱の会員を有する。正式な学会になろうと思えばいつでもなれる。にもかかわらず、私たちは学会にはならず、「世話人の私的な研究会」というスタイルを貫いている。一切の権威主義から自由でありたいからだ。
しかし、四百人弱の会員を有する団体はすでに公的な存在である。私的な研究会でありながら公的な性格を持たざるをえない。この矛盾を解決する唯一の方法は、研究の質において公的たりうるのみ。
年に一度刊行している『日本教育史研究』も、選挙で選ばれたわけでもない世話人が編集委員として原稿掲載の可否を判断している。「そんなことをする資格があるのか」と問われれば、「結果を見てくれ」というほかない。
そのため、編集作業をする三月・四月の二ヶ月間、世話人は苦役を強いられることになる。世話人は全国に点在しているから、やりとりはすべてメールでおこ なう。集めれば一冊の本になるほどの分量。読めば、「これほど真剣に、これほどていねいに原稿を読む人がいるのか」と驚く。読んでいるうちに厳粛な気持ち になる。だから、この会の代表であることを秘かに誇りに思っている。
でもやっぱり、サマーセミナーの挨拶は気が重い。誰か代ってくれ!


<代表あいさつ(小野雅章)>

前号で、山口和宏代表による「代表退任の弁」の掲載があったが、今回私が、「代表就任のあいさつ」を書く役目を負うことになった。昨年、第25回日本教育史研究会サマーセミナーを日本大学文理学部で開催し、会員他いろいろな方々のご協力の結果、無事終了することができた。昨年は、研究会発足25年の記念すべき年でもあった。懇親会の一部で「25周年パーティー」を催したが、そこで、歴代の世話人の方々のお話を聴き、そして、その時世話人で作った小冊子等を見るにつけ、あらためて四半世紀という歴史の重み」を感じているところである。何しろ日本教育史研究会が発足した25年前は、学部の4年生で、卒業論文をどうしようか、考えていた頃であった(その時は、日本教育史の道に進むことなど思いもよらぬことであったが)。
日本教育史研究会には、この25年の間一貫した精神がある。それは、自由闊達という精神である。そして、他の学会や研究会には無い「財産」がある。そのひとつが、機関誌『日本教育史研究』である。投稿論文を丁寧に読み合わせ、掲載の可否を決めることは言うに及ばす、掲載論文には論評を付し、書評には筆者からのリプライを掲載して、闊達な議論の「場」としている。編集担当は、「胃を傷める」こともあろうが、会が存続する以上は、後々にも伝えたい「財産」である。ふたつ目は、サマーセミナーである。1つのテーマを、1泊2日でじっくり議論するこのサマーセミナーは、シンポジウムよりも議論を深める可能性を持っている。さらに、隔月の『日本教育史往来』があり、この号で167号となる。これも、期日発行・発送を継続し、会員相互の情報伝達や交流の場となっている。代々の編集担当者・発送担当者の並々ならぬ努力の賜物である。このように、今までの「財産」を維持・継承するだけでも、相当の力量が要求される。書き連ねただけでも気が重くなる。貴重な「財産」を引き継ぎ、それに新しい「何か」(これが大変に難しいのだが)を加えることが出来たらと思う。世話人の方々と知恵を出し合いたい。
ところで、この25年の間で、日本教育史研究を含む教育史研究がおかれた状況は、大きく変化している。このことは、かつての世話人代表も語っているところであるが、「日本教育史」が教職科目という制度に守られていたのは遠い昔の話になっている。また、昨今の教育改革の議論では、日本教育史研究の成果等がほとんど無視されている。日本教育史研究は、現実の教育には「役に立たない」という「評価」がさらに強まっているように見える。さらに、私が対峙している学生達の少なからぬ数が日本教育史に無関心である。無関心ならまだしも、教室の中では教育史に対する嫌悪感を正面から示しさえする。そのような中で、「日本教育史1・2」という必修科目で約150名の学生を前にして、私には日本教育史の「面白さ」を解く能カ・自信は全く無いが、それでも日本教育史への無関心を解き解し、何かひとつでも関心を持つような動機づけをしようと、悪戦苦闘する毎日である。
非常に難しい課題を前に、悩みに悩んだ結果、私が出した結論は、「授業の「質」を高めること、そのためには、研究成果を厳しく議論し、さらにそれを高める努力を怠らないこと」、つまり、「教材研究」としても、研究の質を高めたい、というものであった。自分の研究の質を高め、それを大学の授業等で還元するためには、幅広い研究交流が必要になってくるだろう。それも教育史という狭い分野に限定することなく、様々な学問領域との交流である。しかも、「時流に流されることなく」、が大切だと個人的には思っている。そのような交流の重要な「場」として、日本教育史研究会が機能できたらと思う。
この研究会への思いは、会員それぞれにあると思うが、会員相互の意見交換は会を維持していくための絶対条件である。会員の積極的な意見や要望等、ホームページを通じてお寄せいただきたい。会の進展はひとりひとりの思いの達成が何よりも重要であると考える。
長らく事務局長の激務を担っていただいた井上惠美子さん、メーリングリスト等で会の運営にいつも貴重な提言をしてくれた駒込さん、そして、代表の役目を担っていただた山口和宏さんが、この3月で世話人を「卒業」される。この3人の方々なくして、会運営は機能しなかった。この場を借りて御礼の言葉を捧げたい。そして、4月からは、新たな世話人として奈須恵子さんと山田恵吾さんが加わる。新たな出発でもある。
日本教育史研究会には、「30代から40代前半の若手研究者が会の実務を担うということは会の活性化のために重要」という共通認識がある。私は既にその年代からは外れようとしている。そんな思いを秘めつつ、この研究会の「お世話」を、他の世話人の方々と相談しながら、もう少し続ける所存です。近いうちに起るであろう、世話人の大きな変更にむけて、円滑に「バトンタッチ」することが、私の何よりの課題である。

2007年3月31日
小野 雅章

 


<世話人を代表して(坂本紀子)>

この度の東日本大地震と津波およびこれらに伴う一連の災害によって、被害に遭われた方々、今も避難生活を続けている多くの方々に、心からお見舞いを申し上げます。安全で安心できる生活を、一日も早く取りもどされることを、願ってやみません。
四月から、世話人の代表を引き受けることになりました。未曾有の災害に見舞われたこの年、日本教育史研究会は三〇年の節目を迎え、三五〇名近い会員を抱える研究会になりました。
創設当時の『日本教育史往来』をみると、研究会の各活動方針が次のように記されています。『日本教育史往来』は、「日本教育史にかかわるあらゆるニュー スを、会員相互の提供によってつくる」「交流の場」としての機能をはたすものであること。『日本教育史研究』は、教育の歴史を「『とらえなおす』分析視覚 と方法論」を提供し「教育史研究を一段おしあげる」ことに寄与するものであること。サマーセミナーは「じっくり話しあえる合宿形式」のような場であるこ と。そして何よりも日本教育史研究会は、会員が「自主的に集う『私の大学』」にたるものであること。現在、『日本教育史往来』や『日本教育史研究』、サマーセミナーは、それらの機能を十分に担いうる活動内容になっているでしょうか。あらためて原点を確認し、世話人一同、仕事をとおして互いに学び、刺激し合いながら会の運営に臨んでいきたいと思っています。
しかし日本教育史研究会が自由な意見交換、旺盛な研究交流の場であるためには、会員みなさんの参加、投稿や運営に対する意見が欠かせません。特に『日本教育史往来』は、論考のみならず、「史料紹介」や「史料の問い合わせ」、「エッセイ」等にも活用していただくためのものです。会員のみなさんが積極的に日 本教育史研究会を活用していただくことを希望しております。そして、そのような研究会になるように、努力していきたいと思っています。

2011年3月24日
坂本 紀子


<三二回目の春に世話人を代表して(大島宏)>

日本教育史研究会は、一九八一年の発足から数えて、三二回目の春を迎えた。約三五〇名を数える会員は、大学に所属する教員や大学院生だけでなく、小学校・中学校・高等学校の教員、アーキビストなど多様な立場にある。日本教育史研究会は、このような立場にある会員が研究という一点において集い、交流をかさねてきた組織である。
しかしながら、日本教育史研究会は「学会」ではない。「自主的に集う『私の大学』」であり、「自由かつ旺盛な研究交流を軸に、相互批判や論争を大胆に進め、科学的な教育史学を展望する有志組織」である(『日本教育史往来』第七四号、一九九一年一〇月)。当然のことながら、有志組織である研究会の主体は会員諸氏であり、研究会の存続も会員諸氏の積極的なかかわりなくしてはあり得ない。
有志組織である日本教育史研究会の運営は、世話人というボランティアが担っている。四月からは、坂本紀子、山田恵吾に代わり、高野秀晴、樋浦郷子の二名を加えた一〇名の世話人がこれにあたる。また、坂本紀子に代わり、大島宏が世話人の代表を務めることになる。しかし、研究会のあり方は、これまでと何ら変わることはない。
教育史にかかわるあらゆるニュースを会員相互の提供によってつくる、交流の場としての『日本教育史往来』。教育史研究をとらえなおす分析視角と方法論を提供しつつ、新しい地平を開拓するための『日本教育史研究』。さまざまなテーマについて、じっくり話しあえる合宿形式のサマーセミナー。世話人一同は、この三つの場における研究交流を通じて、教育史研究をより豊かなものにしていくという研究会の精神をあらためて自覚しつつ、議論し、互いに学びあいながら、運営にあたりたい。
とはいえ、世話人体制という研究会の運営のあり方も、会員諸氏の信頼なしにはありえない。会員諸氏には、これまで同様の、否これまで以上の協力をお願いするとともに、忌憚のない意見を乞う次第である。

2013年4月
世話人を代表して  大島 宏


<世話人を代表して(近藤健一郎)>

日本教育史研究会は、夏に足かけ二日間であるテーマについて討議するサマーセミナー、隔月で発行し交流の機会とする『日本教育史往来』、年一回発行の研究会誌である『日本教育史研究』という三つの研究交流の場をもっています。これらは、世話人という有志組織での合議によって運営されています。これらの企画、運営を通じたさまざまな研究交流のなかで世話人自身が学びつつ、会創設時の「おさそい」をそのまま引用しますが、「会が発展することによって、日本教育史研究がより一歩でも、一つでも豊かになっていけば幸いだと思っています」(『日本教育史往来』創刊号、一九八一年四月)。
月日はめぐって、また新しい年度が始まります。それと同時に、代表の大島宏が世話人を退き、代わって近藤健一郎がその役に就くことになりました。代表とはいいましても、合議によって活動を進めていく世話人体制をこれまで同様に継承していきますので、その役目はサマーセミナーと教育史学会大会時の会合およびメーリングリストを活用してなされている世話人の合議を円滑に進めること、そして世話人全体として会員の皆さんが参加、交流しやすい研究会の運営に努めることに尽きます。二〇一五年度の世話人は、池田雅則、軽部勝一郎、近藤健一郎、佐喜本愛、杉浦由香里、須田将司、高野秀晴、鳥居和代、樋浦郷子、宮坂朋幸です。昨今の研究・教育状況のなかで難題は多々ありますが、この十名で力を合わせて、発会当初の趣意である「教育史研究の意味とあり方」を問いつつ「ゆっくり自由に話し合ったり、批判したりする研究交流の場」をめざして、研究会活動の企画、運営に臨みたいと思います。会員の皆さんには、これまで同様のご協力、ご参加をお願いしたいと思います。今年度も引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

2015年3月28日
近藤 健一郎


<日本教育史研究会の世話人を代表して(鳥居和代)>

本会創立から37年目となるこの4月より、新たに世話人代表の任を引き継ぐことになりました。2010年4月に世話人に着任して以来、これまで7年間、本会の運営に微力を尽くして参りましたが、当初予定していた任期を1年延長し、今後2年間、代表として本会のお世話を続けていく決心をいたしました。気づけば、現世話人の中では最古参であることに自分でも驚いています。
私的な有志の集まりからスタートした世話人体制は、長きにわたり本会の組織原理であり続けてきました。発起人である第一期世話人を別にすれば、その時々の世話人集団が一定の条件のもとに会員の中から新世話人候補を選び、そのうち世話人就任を引き受けた有志らが、本会の運営を代々受け継いできた経緯があります。あえて会員の役員選挙に依らない世話人による会務運営は、既成の学閥や学会の権威から離れた風通しのよい研究交流の場を作り出そうとした、本会の設立趣旨と相即不離なものでもあります。
しかし、このような趣旨を私たちが世話人を引き受けた時点でどのくらい深く理解し、共有することができていたかと問われれば、否定的な答えにならざるを得ません。だからこそ、世話人として会務に携わることがどのような意味を持つのか、何のために世話人を続けるのか、従来からの慣行という以上に世話人体制を維持する意義はどこにあるのかを、過去の世話人がおそらくそうであったように、私たちもまた本気で議論し自問自答してきました。この意味で、私たちは「世話人」でありながら、その地位に安住することは決して許されず、今なお「世話人」であることを模索し続けている(しなければならない)存在です。会員に対する責任ある仕事は、こうした模索を経ずには為し得ないと考えています。
競争的環境の中で、大学は依然として厳しい状況に置かれています。運営費交付金削減による国立大学の人件費抑制と任期つき若手教員の増加、私立大学等の経常的経費に対する補助割合の下降、科研費申請の有無によるアメとムチ(学内研究費の増額または減額)、人文・社会科学系の学問や基礎研究の軽視、教員評価システムの導入と処遇への反映、グローバル化推進事業にともなう対応(授業の英語化等)、学内業務の一層の多忙化など、大学における自律的な研究・教育の営みを困難にする事態がますます進行しています。学校現場はもちろん、文書館や博物館等もまた、予算不足・人員不足や業務の多様化・多忙化など同様の困難を抱えています。
本会の会員(世話人を含む)と教育史研究を取り巻く現状は決して楽観できるものではありません。そのような中でも、350名近い会員で構成されながら、今なお私的な研究会という原則に立脚する本会のお世話をする身として、私たちに変わらずできること、求められていること、もっと自覚的に取り組むべきことはあると思っています。学会組織に象徴される「正統性」からは一定の距離を置き、世話人同士の話し合いによって、互いの見解の相違を調整しつつ合意に達した結果として、世話人が積極的に奨励したい、学界に投げかけたい論考を機関誌『日本教育史研究』に掲載する、あるいはそのようなテーマでサマーセミナーを企画・実施するなど、既存の枠組みには必ずしもとらわれない、むしろそれを押し広げるような教育史の学術上の価値を追究しようとする試みがそれです。
もっとも、こうした世話人の試みには、それ相応の勇気と覚悟がいります。世話人の問題意識のあり方や判断の妥当性が、常に外部から鋭く試されざるを得ないからです。したがって、世話人のいささか大胆な試みを可能にするためにも、また同時に、外部的なチェックに開かれ、それに耐えうるものであるかどうかを保証するためにも、『日本教育史研究』掲載論文・ノートに対する「論評」の存在、ニューズレター『日本教育史往来』誌上での問題提起や論争の場の確保、サマーセミナーにおけるオープンな議論の場づくりは、いずれも不可欠な要素となります。それ以前に、まずは世話人の内部において互いに議論を尽くし、常に自分たちに厳しくあることが大前提です。
本稿は奇しくも、本会創設の呼びかけ人のお一人、梅村佳代会員による同志・千葉昌弘会員への追悼文と同じ誌面に掲載されることとなりました。本会のことを常に心にかけ、折に触れてお叱りや励ましをくださった故人を偲んで、世話人一同、謹んで哀悼の意を表します。第一期世話人の志に改めて思いを致しつつ、今後も引き続き会務を全うしていく所存です。会員の方々のご理解とご支援をいただければ幸いです。

2017年4月
世話人代表  鳥居和代


<世話人を代表して(高野秀晴)>

この4月で、世話人のメンバーは大きく入れ替わり、新たな布陣でのスタートとなりました。一同で議論を尽くして力を合わせることが、ますます大切な現状になっていると認識しております。
皆様ご承知のとおり、本会は「有志」組織という性格に頑なにこだわり続けております。代表も含め世話人は、会員からの選挙によって選ばれたわけではありません。にもかかわらず、会員の皆様から徴収した会費を用いて、サマーセミナー等の企画を立てたり、会誌や会報を発行したりしています。また、会誌を編集する際には、投稿論文を読み合わせて、掲載の可否を決めることまでしています。「何の権限があって、そんな勝手なことをしているのか」と問われかねない仕組みが本会にはあるわけです。
もとは、「この指とまれ」という方式で始まった会だと聞いております。世話人が「この指とまれ」と企画を提案し、面白いと思った会員が参加する。会員が「これは!」と思ったことを気軽に会報に投稿し、面白いと思った読者がそれに応じる。会誌では、論文に対する論評も掲載され、時に厳しい相互批判が繰り広げられる。このようにして、「有志」たちによる、楽しくも真剣な空間が形成されてきたのだと思います。
本会は、現在では約300名の会員を擁するに至りました(近年、減少傾向にあることも事実です)。「この指とまれ」で、ここまでの規模に到達できたのは、歴代世話人と会員諸氏の「志」の熱さと懐の深さを示すものと実感させられます。
一方で、自問もしてしまいます。300人規模の組織を「この指とまれ」方式で維持できるのか、と。指にとまろうと思っても、多すぎてとまれないのではないか。第一、指がもたないのではないか――。
実際、本会の独特な組織原理に関する疑問や批判は、私の在任中にもいくつも頂戴してきましたし、そのつど、世話人間で議論を重ねてまいりました。その議論は、各世話人がそれぞれの「志」を否応なく問い直される機会でもあったと思います。そして、議論のたびに再認識させられたのは、これまで本会が受け継いできた「志」の重みでした。
正直、投げ出したくなることもあるような重みです。けれども、この重みは、本会の存在価値そのものでもあると思います。航海を続けるうえで、錨という重みが不可欠であるように、本会がこれまで受け継いできた錨は、本会が会員諸氏にとっての停泊地となるうえで、欠かせないものなのではないか。
そんな思いをもとに、会員諸氏が少しでも「自由闊達」に航海できるよう努める所存です。引き続きよろしくお願い申し上げます。

(『日本教育史往来』No.239,2019年4月30日)


<世話人を代表して(池田雅則)>

 日本教育史研究会は、一九八一年の創設から四十年目の節目を迎えました。会のホームページには、初代の世話人が研究会の発起にあたり記した文章が掲載されています。
 私たちは、学会や共同研究のおりふしに、ゆっくり自由に話し合ったり、批判したりする研究交流の場がほしい、とかねがね思い意見交換をしてまいりました。そして何どか小研究会様のものをもつうち、多くの同学の人びとと歩みたいと考え、「日本教育史研究会」を発足させることにしました。
 「多くの同学の人びとと歩み」、「ゆっくり自由に話し合ったり、批判したりする」。まさに今の私たちが渇望していることではないでしょうか。世界的に猛威を振るい、終息がなかなか見通せない新型コロナウイルス感染症は、私たちの心身に対する明らかでありつつもおぼろげでもあるという捉えどころのない脅威となり、私たちの暮らし、研究の在り方も大きく変化させています。史料調査は滞り、研究の集いを開けず、そして業務の繁忙化と変化によって思うように研究を進められなかった方もいたのではないでしょうか。
 日本教育史研究会においては、毎年途絶えることなく続いてきたサマーセミナーが、世話人の長い議論を経た結果、やむなく開催延期になりました。本年度の再開催につきましても、以前と同様な形での開催は難しいかもしれません。決して広くはない空間で、膝を突き合わせながら二日間にわたって濃密な議論を交わしていたセミナーの風景が、懐かしく思い出されます。
 しかし、過去を懐かしむだけではなく、社会全般のデジタルトランスフォーメーションによって見えてきた集いや成果発表の新たな可能性を適切に取り入れながら、また子育てや介護などをしながらも研究に尽力している方々のことにも思いを致しながら、皆様とともにこれからの研究会の在り方を模索していきたいと考えています。
 研究会発起時の文章には、次のようにも記されています。

 いま、世界で、日本で、教育のことについても、さまざまな問題が山積し、「このごろ歴史の重みが肩に感ぜられる」(天声人語)などといわれている折、教育史研究の意味とあり方が問われているように思います。

 山積している問題は当時の文脈とは大きく異なりますが、今改めてこの文章を噛みしめています。社会情勢が急激に変化する時にこそ、冷静に事実を振り返る歴史研究の価値が光るものと信じています。
 この度、これまで世話人代表に就いていた高野秀晴が退き、代わって池田雅則が世話人代表の任に就くことになりました。日本教育史研究会は、研究誌である『日本教育史研究』の刊行、会員の交流の場である『日本教育史往来』の発行、そして特定のテーマを設定した集中的な討議の場である「サマーセミナー」の開催が主たる活動内容です。四十年にわたり会の発展を支えてきてくださった、会員と世話人の思いを引き継ぎながら、皆様の研究と学界の発展を一歩でも前に進める下支えをしていきたい所存です。ご理解とご支援を賜りましたら幸いです。何卒、よろしくお願い申し上げます。

2021年4月
世話人を代表して 池田雅則

(『日本教育史往来』No.251,2021年4月30日)


 

<世話人を代表して(杉浦由香里)>

 日本教育史研究会の特色は、いわゆる「学会」とは性格を異にする有志組織であることです。それは、権威主義や官僚主義に陥ることなく、「自由かつ旺盛な研究交流を軸に、相互批判や論争を大胆に進め」るという本会の目的から導かれた組織原則といえます。

 このような組織体制を維持するのは、簡単ではありません。世話人に就任して以来、困難に直面するたび、過去の事例を掘り起こし、本会の初志を振り返り、世話人同士で議論を尽くす先達の姿勢に学んできました。

 他方で、この間、新型コロナウイルス感染症の影響等により、従来の慣行を踏襲することが難しくなっていることも事実です。昨年度は、サマーセミナーを初めてオンラインで開催しました。例年に比して多くの会員にご参加いただけたことを嬉しく思う反面、「ゆっくり自由に話し合ったり、批判したりする研究交流の場」になり得ていただろうかと自問してもいます。

 現在に至っても感染症の収束が見通せないことに加え、ロシアによるウクライナへの軍事侵略により、人類の自由と平和、そして民主主義が脅かされる世界的危機が訪れつつあります。こうした状況下において、教育史学の使命とは何かが、改めて鋭く問われているように思います。また、こうした時代の変化が本会の運営にも少なからず影響を及ぼしています。

 この春、世話人に就任して八年目を迎え、代表を引き受けることになりました。代表といっても「世話人は基本的に対等平等の関係」にあります。これまでのように、会の運営は世話人の合議で進めてまいりますが、会員のみなさまからも忌憚なきご意見をお寄せいただければ幸いです。初志を忘れず、会員の信託と信頼に応えられるよう、研鑽を重ねていきたいと思います。引き続き、会員みなさまの積極的なご参加とご協力をよろしくお願いいたします。

二〇二二年四月 世話人を代表して 杉浦由香里

(『日本教育史往来』No.257,2022年4月30日)