過去のご挨拶

(「日本教育史往来」創刊号、1981年4月15日)

「日本教育史研究会」へのおさそい

芽吹く春のさかり、皆様におかれましては、御元気にて研究や教育に、一層の御発展のことと御喜び申し上げます。
私たちは、学会や共同研究のおりふしに、ゆっくり自由に話し合ったり、批判したりする研究交流の場がほしい、とかねがね思い意見交換をしてまいりました。そして何どか小研究会様のものをもつうち、多くの同学の人びとと歩みたいと考え、「日本教育史研究会」を発足させることにしました。
当面、自由に発表・研究交流のできる雑誌「日本教育史研究」の創刊(年一回)、じっくり話しあえる合宿形式のサマーセミナー(1982年より予定)、この間をニュース「日本教育史往来」(日本教育史にかかわるあらゆるニュースを、会員相互の提供によってつくる。年数回発行予定)によって交流していきたいと思っています。しばらくの間は、私たちが縁の下の力持ちを務めさせていただき、おいおい自然に慣行が会則となり、会が発展することによって、日本教育史研究がより一歩でも、一つでも豊かになっていけば幸いだと思っています。
このような事業について、ぜひ多くの皆様方のさまざまな提言・意見・希望などをおよせいただきながら、ともに「日本教育史研究会」を創り、運営してまいりたいと思います。
いま、世界で、日本で、教育のことについても、さまざまな問題が山積し、「このごろ歴史の重みが肩に感ぜられる」(天声人語)などといわれている折、教育史研究の意味とあり方が問われているように思います。
重い歴史を、芽起こしの春から、会を創ることに、多くの皆々様からの御支持をよせて下さることを、お待ち致しております。
なお、この案内は教育史学会会員名簿の日本教育史と一般の方々のみに出しておりますので、お知りあいの同学の研究者・院生・教師の方々などに、御紹介いだけますと幸甚です。

1981年4月15日
(よびかけ人)
(代表)石島庸男・千葉昌弘(事務局)花井信
梅村佳代・田中征男・福沢行雄・森川輝紀


(「日本教育史往来」第76号、1991年10月25日)

新しい出発にあたって

日本教育史研究会が発足して、十年の節目を迎えた。
歴史は動く。このあたりまえの言葉を、今日ほど痛切に感ずることはない。かつて不動のごとくみえたシステムが、今や人々の予想をはるかに越える規模とテンポをもって激動のさなかにある。その行き着くところはいまだ不透明だが、大局的に見て、人類の自由と民主主義を獲得する闘いの流れの中に位置するものと信ずる。日本の教育現実も、そして教育史学もまた、こうした歴史の動向と無関係ではありえない。
日本教育史研究会は、会誌創刊にあたり次のように呼びかけていた。
きびしい現実との格闘の中でこそ、学問が鍛えられるとすれば、教育史学もまた例外ではない。…教育と社会の現実をみすえ、そこからの課題をも心にとめ「とらえなおす」分析視角と方法論を駆い、教育史学の新しい地平の開拓にのぞもうではないか。それにはカテゴリーの再検討や、教育史研究の対象領域の吟味等をも包含していよう。 (「創刊にあたって」『日本教育史研究』創刊号、1982・3)
この問題意識は、そのまま今日の私たちのものでもある。この十年、日本教育史研究は着実な前進をとげてきた。年々の諸学会での発表や紀要類での研究論文の数はますます増え、研究領域や対象とする時代範囲も大きく拡大している。いくつかの領域では重厚な研究書が刊行され、新たな問題提起も登場している。それらの成果は、これからの教育史学の発展にとってかけがえのない土台を与えてくれている。しかし、それにもかかわらず、右の呼びかけは、私たちが常に立ち戻るべき原点として、今なお有効性をもつと考える。みずからの反省を含めて、教育史学に課せられた課題の大きさに思いをいたさざるをえない。
日本教育史研究会は、世話人体制を新たにした。しかし会の精神や活動方針は基本的に継承される。自由かつ旺盛な研究交流を軸に、相互批判や論争を大胆に進め、科学的な教育史学を展望する有志組織として、そのいっそうの発展をめざしたいと思う。もとより世話人は世話人であり、会の運営は会員の意志に依拠することなしに行ないえない。私たちは、まずはみずからが学び互いに刺激を与えあいつつ、ともに努力を続けていきたいと思う。そうして、旧世話人たちが模索し、切り開いてきた地平をわずかでも進めることができるなら、これ以上の喜びはない。
会員諸兄姉のきびしいご叱正とご支援をお願いする次第である。

1991年10月

日本教育史研究会 世話人一同
大橋基博 木村政伸 清水康幸 前田一男 森 透 米田俊彦 (五十音順)